上下巻で800ページを超える分量もあり、少し読み進めるのが辛いかもしれないが、明治維新後の自由民権運動と女性の権利向上を真正面から捉えた大作だ。梟首とは処刑され、晒された首のことだ。物語は、父親が西南戦争に乗じて決起しようとするも急逝してしまった土佐の旧士族一家と、留学先のロンドンで切腹した日本人の理由を探る商人の視点から交互に進んでいく。
坂東真砂子らしいホラーや怪奇の描写もあるが、それ以上の熱量で描かれるのは、法学の道に進む兄と、新聞社に入り自由民権運動にのめり込む弟、そして江戸から明治に変わっても、男と同様の権利を持てないのはおかしいと女性の権利向上を目指す未亡人の母の物語だ。ロンドンで切腹した男は、序盤でこの一家の兄だとわかる。なぜ兄は切腹せねばならなかったのか、なぜ兄のように多くの男たちが留学先で死んでいかねばならなかったか。夏目漱石もロンドン留学中に神経衰弱に陥ったが、国のために西洋の学問を取り入れようと必死なあまり斃死した男たちもさぞかし多かったのだろう。そしてさらに多かったのは、自由と民権を求めて運動をした結果、明治政府によって弾圧された人々だ。言論の自由もなく政府を批判すれば集会は中止され、新聞は発行停止となり、官憲を侮辱したとして牢屋にぶち込まれる。維新後の明治政府の専制に旧士族が反乱を起こしたあとも、若者たちが自由民権運動にのめり込み、政府と対立するのは当然だった。
西洋と日本の対比や、日本人論も登場人物によって語られるが、それ以上に自由民権運動に熱中する男たちをどこか醒めた目で見据える女たちの視線も作品に深みを与えている。坂東真砂子の作品はどこまでいっても男と女だし、自由民権というのは土佐に土着した民俗文化なのだ。
憲法制定と帝国議会設置前の明治日本から見ると、現代日本は自由も民権も保証されているようには見える。だが果たして本当のところはどうなのだろうか。個人が個人であると自覚し、付和雷同せず、堂々と自身の意見を主張できるだろうか。自由民権を求めて言論で戦った若者たちから問いかけられているような気がした。
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2021/06/18