爆笑。
クスリとかワロタみたいなレベルでなく腹筋が痛くなるくらいのガチ爆笑。
天才。佐川恭一という作家はどういう文脈で語ればいいか、というところにまで来ている。
連載が始まったり大手誌でインタビューされたりと大人気作家の仲間入り前夜。
僕みたいなもんがインタビューを依頼してもOKしてくれないレベルにいっちゃいましたね……。
佐川恭一さんってエゴサするし、ちゃんと中身も見てくれる。
だから佐川恭一さんに向けての文章を書いてみます。
スラングのような語彙はテキストサイトの流れを彷彿とさせるが、でも言葉のセレクトはインターネット的ではない。
インターネットの流れを組む人は好きな女性タレントで「牛川とこ」を選ばない。たぶん。
インターネットではない、サブカルチャー誌の流れを組む人ではないかなあと思う。
佐川恭一の小説は面白いのは当然として、小説界の漫☆画太郎と見るか、大谷翔平や藤井聡太みたいな新人類と見るか、みたいなものだと思う。
もっと言えば二刀流に挑戦する大谷翔平を、イチローみたいに応援するか、張本みたいに喝するか。
僕は応援します。
でも「応援します」みたいなところに着地すると、「ゴア表現がないほうが好みでした」みたいな、
アマゾンレビューみたいな感想になってしまう。
Aの職場の上司のBの娘のCの恋人の…と話が飛んでいって、これ全部繋がったら美しいな、
と思ったらあんまり関係ないところも惜しいなあ…と思ってしまう。
でもそんな小手先のことは、佐川恭一のドライブ感の前には無意味だなあと思う。
大人数が支持する80点より、小人数が熱狂的に愛する100点のほうがいい。
本が千円で読み放題のサブスク時代に、マスに玉を投げても大ヒットは起こらない。
ファミ通のクロスレビューで例えるなら、
8点,8点、8点,8点のゴールド殿堂より
10点、0点、10点、0点の殿堂入り落ち作品のほうが記憶に残る。ワクワクする。
熱狂的な100点はうねりを生む。
人に伝播する。
無難な80点は埋もれていく。
本書に関して言えば先述の通り、登場人物がつながったらわかりやすく美しかったし、ゴア表現がないほうが個人的な好みでした。
でもそうしないのは、伏線回収をすると安っぽくなってしまうからなのか、この完成形がいちばん美しいと信じているからなのか。
そのあたりをお訊きしたいです!