ノンフィクションライターによる、大量殺人事件の犯人との面会と裁判ルポ。面会はある日唐突に終わってしまったし、裁判の傍聴は高倍率だったため実際はほとんどできてなかったと著者は書いているが、十分に考えさせられる内容になっている。
座間9人殺害事件は、犯人が短期間の間に次々と9人を殺したという事件だ。うち8人は女性で、未成年も含まれる。これだけを聞くとさぞかし凶悪で残忍な、まさに冷酷な犯人だと誰もが思うだろう。
だが被害者は全て自殺志願者で、同じく自殺願望がある(と見せかけていた)犯人と一緒に自殺したくて犯人宅まで何時間も電車を乗り継いで赴いて、結果として殺されてしまったのだ。被害者の協力(?)がなければわずか2ヶ月で9人もの殺害は行えなかった。これは一体どう捉えたらいいのだろうか。
異常な点は多々ある。犯人は、拘置所での著者との面会で将棋の本やアイドルの写真集の差し入れを希望している。まるで骨折か何かで入院しているような感じだ。そして、どこか他人事のように軽々しく「やっぱり死刑かー」などと愚痴をこぼす。犯人の法廷での振る舞いや、頭部や大きな骨だけ捨てずに自宅のクーラーボックスに大量に残していたこと。そして犯人が次々と殺人を起こしていた中、犯人の家に寝泊まりしていた女性が3人もいたこと…。うち1人は犯人が骨を煮て肉を剥がすところなどを見ているという…。
読後最も気になったのは、若いころは多少はあるにせよ、日本でこれほど多くの女性が自殺願望を抱いているということだ。そしてこうした凶悪犯がやる気さえ出せば、いともたやすくわずか2ヶ月で9人の自殺志願者を言葉巧みに呼び寄せ、殺せてしまうという事実だ。
弁護人が犯人を擁護すればするほど、被害者の遺族には辛くなるだろう。被害者は遺族たちとの関係が苦痛でたまらなく、自殺、もしくは誰かに殺してほしかったと弁護人が主張しているからだ。
若いからまだやり直せるなどというのは、他人の勝手な想像に過ぎない。裁判では明かされなかった被害者たちの本当の気持ちが無性に知りたくなる。誰かに悩みを打ち明けたかっただけなのか、本当は生きていればいいこともあると言ってほしかったのか、もしくは本当に死にたかったのか…。
著者もかいている通り、犯人とその両親の関係もわからないままで、なぜ犯人がこういう事件を起こすに至る心境に達してしまったのか、判決は出たものの、わからないままだ。
最後に、スラスラと読みやすいが残忍な描写も多いので、苦手な人は読まないほうがいいだろう。