枕草子自体は100点というか、点数をつけること自体おこがましい。国宝。
訳がなあ…。訳者本人も書いているけど、ルール違反。原文に書いてないことばかり書いてて、「清少納言、絶対こんなこと言ってないだろ」という部分が多数。
例えば「心悸する物、雀の子飼い」という原文は、「胸騒ぎがするもの。雀の子を飼うこと。死んでしまうのではないか、飛び去ってしまうのではないか、蛇に襲われるのではないか…そんな不安が過ぎる」と訳している。
雀の子を飼うことで起きる不安を、注釈を設けずに訳の中にこのような形で紛れ込ませているんですね。
「バカでもわかる枕草子」とまでは言わないけど補足しすぎだなあ、蛇足だなあ、と思う。
でも注釈って読まない人の方がたぶん多いから、原文・訳・評の三分構成はページを行ったり来たりする必要がなくていいとも思う。
それか、評に紛れ込ませて欲しかったなあ。
めちゃくちゃ面白かったです。
日記の可能性。
1000年前の宮廷の暮らしがありありと目に浮かぶ。
物語ってフィクションじゃないですか。
ドラマもフィクションじゃないですか。
時代劇もフィクションですよね。
お歯黒を塗っている女優も、虫が湧き出る家も出てこない。
だから枕草子の「お歯黒を上手く塗れたときは嬉しい」とか「家屋が古くて虫が湧き出るのが嫌だった」という記述を見ると、この時代はこんな暮らしをしていたんだな、お歯黒ってお化粧のような感じだったんだな、と思う。
また、当時は婚姻関係を結んでいても基本別居なんだとか、当時は貴族社会で、差別が当たり前だったんだとか、顔を見られるのがいちばんの恥だったんだなとか、だから長い袖や扇子を持ち歩いていたんだとか、天皇陛下はものすごい気さくな人なんだとか、今の皇族って公務の日々ばかりだけど、当時の皇族は公務もほとんどなくのほほんとしてていいなあ、今の皇族は自由もなく可哀想だなあ、小室圭との結婚くらい許してやれよ、と思う。
清少納言は宮廷に務める女性。今でいうと宮内庁職員とかでしょうか。
天皇陛下にちょくちょく会っている様子を見ると、皇居のお手伝いさんに近い。
文庫本500ページ分くらいの分量をあの時代に書いていたんだもんな。
しかも目上の人だろうと気に入らない人物を実名でバッサバッサと切っていく。
枕草子は清少納言存命中に多くの人に読まれている。
僕もnoteで日記を書いているんだけど、どこかぼかしてしまう。
クローズドな場所で思う存分書けばいいんだけど、誰にも読まれないものを書く気力がない。
読者がいるから、はじめて書く気になる。
枕草子ももともとは個人的な日記なのに文庫本500ページ分書いてる。すごい。
そして日記が外部に漏れたことを「口惜しい」と記している。
当時は漢詩と和歌と古事が教養のすべての時代で、いかにその場面にあった漢詩や和歌や古事のひとことをうまいこと言えるか、がその人の評価に繋がっていた。
宮廷総松本人志社会みたいな。
清少納言はかなりの教養人で、漢詩や和歌や古事に秀でており、天皇からお褒めの言葉をいただいたり、これだけ素晴らしい人物なのだから昇進させてはいかがか、という話が出たりする。
「あなたの枕草子にこれも書いておいてよ」と言われたり、「枕草子が外部に漏れ、多くの人に読まれている」ことが書かれる。
枕草子が執筆中にベストセラーになっている。
清少納言って本当にすごい人物だったんだな、と実感。
百年前の世間の風景や風俗を知るのに絵画作品や物語より絵葉書が最重要なアイテムになっているように、千年前の風景を知るには日記が最重要だと思った。
日記ってすごい。
戦国時代の大名の日記や、武士の日記、農民の日記、徒然草も読みたい。
明治時代の日記、大正時代の日記、戦時中の日記、市井の日記が読みたくてたまらない。
日記の可能性。