民俗学を研究している著者が、古文書などによって忍者の有様について考察している。4つのケースを元に忍者について考察しているが、その実態は戦国武者、支配層によって金銭で雇われた集団で、偵察や橋の寸断などを主としていたという。もちろん忍術らしい忍術もないし、堅牢な城へ忍び込み、君主を襲うといったことも滅多になかったようだ。
1つ目のケースは小田原の北条氏によって雇われた風間の一党。当時、関東平野を分断するように、荒川は岩槻や越谷のあたりを流れており、その対岸の上杉勢の確認のために忍びの者は使われたようだが、素行が悪く、村人から出て行って欲しいという陳情が支配層に訴えられているのがおもしろい。
2つ目は土佐の公家から大名になった一条氏の暗殺のために使われた忍びのこと。ここでは忍びとは、全国各地を歩き回っても不自然ではない漂泊の旅人や、一芸を持ち武家屋敷に入りやすい猿回しといった職業であったことがうかがえる。現在に残る言い伝えもあり、面白い。
3つ目は伊賀・甲賀の家屋敷と、そこに見られる忍びの生活様式など。忍びという職業と武家屋敷という居住域が不可分であったらしいことがわかる。
4つ目は伊達正宗が会津芦名氏を攻め滅ぼした戦いで活躍した忍びについて。
これら文献などに残る4つのケースを、著者らしく地名や伝承に基づいて考察していて読み応えがあった。できればさらに研究してほしいが、忍びという名前そのものからしてあまり公にならない事案が多かったのであろう。そしてだからこそ、ファンタジーが膨らむ余地も大いにあったのだと思う。